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鯛/知ってみたい

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エビで鯛を釣る

 タイ科
 北海道より南、台湾や南シナ海に生息。普通タイといえばたいて
いマダイを示す。1本釣り、定置網、はえ縄でとる。

 タイは、日本書紀には海魚郎(魚偏に郎)魚、または赤女(あかめ)とあり、延喜式には平魚と書かれていることから、
 鯛の字は平安朝の頃から用いられたという説がある。南留別志拾遺なる本には周防国に多い魚なので鯛と書くとあるそう
 だが、一般には周の文王と太公望の伝説により出来た漢字と理解されており、万葉仮名では魚の王に見立て太位と書いて
 いるが、風流人は、海のタイ、川のコイ、鳥の鶴を食物の三尊とよんでいた。

 タイとよばれる魚は多く、末二百十四種の魚名はあるそうだが、生物学でいうタイとは、背鰭の棘が11ないし13本あり、
臼歯がよく発達した魚だけをいい、この条件に合格するタイはマダイ、キダイ、クロダイ、チダイぐらいであろうという。
たしかにマダイも鬣(たてがみ)のような背鰭があればこそ威厳があるので、刺鬣魚とも書くのは当然だろうといわれる。

またくらの疵は鯛だと海士(あま)がいい

頭の骨は「鯛の三道具」といい、農耕具の鎌・鍬・鋤に似た頑丈な骨で固められ、歯も丈夫なので、エビタイの俗諺があるよ
うに、貝類やエビなどの甲殻類のほか蛸まで食べる魚である。

鯛は美味とはいえ小骨まで堅いから喉などに刺さったら巣鴨のとげぬき地蔵(高岩寺)の護符でも飲まないと取れないという。
ある植木職は「どんな大木でも鯛の骨を幹に打ち込むと枯れてしまう」と教えてくれたので半信半疑で面白く聞いた。なぜ
なら川柳に、海士が股倉の疵(横根という性病の一種)の原因を問い詰められたら「下手人は鯛だ」と釈明したとある。
  地曳くかすみの中の桜鯛
 小つぼの浜の春の夕凪ぎ   源頼朝

まんざらなうそ鯛のすし鯛のすしタイと名乗っても、タイ科の魚でないものが多いことは前段で説明したとおりで、鯛飯・
鯛寿司などといっていても、大部分はまんざらな嘘(全くの嘘)であるという。頼朝の詠んだ小坪(逗子市)の桜鯛も、魚類学
者によると相模湾から九州にかけて生息するスズキ科の魚でマダイではなかったろうという。

  猫の白浪夜半に引く興津鯛

 静岡県の清水市興津の名産であるオキツダイはアマダイ科の魚であるが、甲子夜話には、興津局という家康の奥女中が宿下
がりした時に、鱗に富士の形がある鯛を持ち帰り献上したのが家康に喜ばれ興津鯛と名付けたとあり、語源は地名でなく人
名によるものらしい。
 ところが、家康は豊臣家が滅亡した翌年の元和2年(1616)4月17日に死去したが、これには不思議な巡り合わせともいえ
る話が伝えられている。天正十年に家康の危急を救った京都の茶屋四郎次郎の次男である又四郎清次が三代目茶屋四郎次郎と
なって安南(現在のベトナム)貿易に成功して博多の豪商になっていたが、元和2年に駿府(静岡市)の家康に面会した際に「京
都では鯛の胡麻揚に大蒜を擂りかけた料理が賞美されている」と言上したので、家康は食欲をそそられ、大鯛二尾と甘鯛三尾
を椎の油で天麩羅に料理させて過食したのが死因であったという。それなのに猫の白浪(泥棒)は夜中に興津鯛を盗んだといわ
れた。

  霞敷く桜の初花をりかけて
  さくら鯛つる沖の海人舟    山家集
  さくら鯛花の名なれぱ青柳の
  糸を垂れてや人の釣りけむ   夫木集
  津の国のなに五両せん桜鯛    其角
  砂の上曳ずり行くや桜鯛     虚子
  姐板に鱗ちりしく桜鯛      子規
  からし酢にふるは涙か桜だひ   宗因
  腸を牡丹と申せさくら鯛
        山々に咲く頃海も桜鯛
  花の王魚の頭に送り号

  江戸前でなければまづい桜鯛
  花の散るやうに鱗ひく桜鯛
  花吹雪ほど鱗のちる桜鯛
  鯛料るあたり入相程に散り
  生鯛は糸を喰ひ切るやうに見え
  下卑た事鯛は切り手がないといふ
  この鯛は七つ時分と押してみる
  下戸が箸取ると嵐の桜鯛
  味噌うしほ八重に吸はせる桜鯛
  百しても鯛は著りの内へ入れ
  腐っても鯛を伊勢屋は喰はぬ也
  鯛よりも鯵で万歳舌鼓

 俳句や川柳の季語になっている桜鯛とは、山々に桜の花が咲く頃に、産卵のため内海に集まってくる婚姻色の鮮やかなマ
ダイに「花の王(桜ごという送り号(戒名)をつけて美化した名前で、津の国(大坂)では江戸の初鰹に対抗して五両出費しても
惜しくないと賞味していた。
 続たべもの日本史によると、江戸末期から明治にかけて江戸に伊豆長という職人がいて、鯛を彫っていると、店に来た小
僧が「これは田舎の鯛だ」と貶したから立腹して小僧に三両の金を与え、「自慢できるような鯛を買って来い」というと、
小僧は江戸前の鯛、生簀の鯛、外海で漁れた鯛と三尾の鯛を買って来て、魚相の相違を実物で説明したという面白い話があ
った。 桜鯛は新鮮で鱗が入相(夕方)の花吹雪のように飛び散り、糸を噛みきるような面相のものを珍重したが、下卑た事
(食い意地が張っても)切り手(料理人)がいないとは哀れなことである。七っ時分(魚屋が閉店する午後四時頃)に売れ残りを
買ってきたのだろうと魚の腹を押して鮮度を確かめるが、下戸は食べる作法を知らぬから食卓が乱雑になって困る。伊勢屋
は質素だから一尾がわずか百文であっても腐っていても賛沢だといって食べない。俗諺に「鯛なくば狗母魚」といい、エソ
は蜥蜴に似ているので外国では蜥蜴魚というが、その中でマエソは白身で味がよく極上の蒲鉾の原料になるので三河国から
江戸に来る万歳(年頭に、烏帽子を戴き素襖を着て各戸を訪れ鼓を打ち縁起を述べて踊る芸人)はエソは鯛より美味いと舌鼓
を打っていたという。
 だが「魚は鯛、人は侍、木は檜、米の飯に鯛の味」と褒められる鯛も、産卵してしまうと不味くなるから「五月陰暦の腐
れ鯛」とか、麦藁鯛、オチ鯛などと蔑視されてしまう。

  この底に酒瓶ありと聞くからに
   浮鯛よりはこちゃ沈みたい 菅 茶山

 現代の日本人が好きな色について意識調査をしたら、緑・青・白・茶・紫・ピンク・赤・黄・黒・グレーの順であることが
判明したというが、昔の日本では赤色を縁起のよい色としていたから祝日には赤飯を炊いていた。だからマダイは赤い上
に眼が大きいので目出たい魚とされてきたのである。ところが昭和41年(1966)にマダイの養殖を始めた長崎県水産試験
場では発育は良好だが、黒色の鯛になってしまったのに困りようやく沖醤蝦(小蝦に似た生物)を与え赤色のマダイを作る
のに成功したという。

 日本書紀に、仲哀天皇が神功皇后と一緒に敦賀で舟に乗り、安芸国淳田門に着き食事を摂っていると、舟の周囲に多数の
魚が寄って来たので、皇后が酒瓶を海に沈めたら海一面に鯛が浮き上がって来たという伝説が載っている。このように鯛が
浮上する現象を浮鯛というが、これは鯛が酒に酔ったわけでなく、潮流が速く浅瀬で動きがとれないために浮き上がるのだ
と学者は説明している。だが話題としては、科学的な説明よりも、上戸が酒を飲みたいために詠んだ狂歌の方が面白い。

 浮鯛に似た話が房州にもある。それは承久四年(1222)2月16日に小湊の漁家の前から清水が湧き出て、二月なのに蓮の
花が咲き、海では鯛が跳びはねていた。珍しい事があるものだと騒いでいると、その漁師の家で男の子が生まれた。これが
後の日蓮上人であり、小湊では鯛を禁漁とし保護したから船が来ると餌を貰えると思ってか、無数の鯛が浮き上がってくる
ので、信仰と観光の対象となり、大正11年(1922)に小湊の鯛は天然記念物に指定された。

  針も心もまっすぐな釣人なり
  釣った鯛直ぐな針ゆゑ魚が落ち
  直ぐな針鯛を半分釣り上げる
  気の長さとうとう鯛を片身釣り
  釣り上げて見れば魚扁取れた鯛
  魚扁のない鯛をつるすさまじさ
   鯛を釣る迄辛抱出来ぬ妻
  妻を去り鯛を半分釣り上げる
   鯛片身釣るまで待つと夫人なり

 呂尚(後の太公望)は一本気な男なので釣針までまっすぐであったから、女房は呆れて去って行った。ところが文王は呂尚
を軍師として迎えたので周(魚偏のない鯛)という国家を創建し、呂尚は大臣になった。これを知った旧妻は復縁を申入れて
きたが、呂尚は盆の水を捨てて「覆水盆に返らず」と名言を吐いて拒絶した。それで旧妻は夫人とよばれる身分になれなか
ったのである。

  掛鯛は枕かたしき姿あり
  まだ動く尾へ奉書の紙をかけ
  鯛の尾を包むにはいい恵比寿紙
  掛鯛は頭巾を尻へかぶるなり
  生き鯛は釣られたなりで台に乗り
  ひだを直しながら鯛の先にたち
  吉日にいけすの鯛のさいごなり
  鯛ぐらいただうんうんの御あいさつ
  いとほそき声音で嬰は鯛の礼
  二三軒つとめて鯛は暑にあたり
  くさっても鯛は四五軒つとめて来

 掛鯛(懸鯛)とは、二尾の鯛の尾を奉書紙で包み双方の喉を藁縄で繋ぎ、これを歯茱と譲葉を挿み、頭から尾に紐を渡して
吊す縁起物で、昔は竈や門松の上に飾った。この掛鯛に上がり鯛(死んだ鯛)を贈ってはいけないとされていたので、後には
木鯛(木彫の鯛)で代用するようになった。

   恵比寿紙とは、奉書紙を裁断する時にできる三角形の端切紙で、烏帽子や頭巾に似ているから頭に被るものなのに、尻を
包んだとて大笑いした。生き鯛は釣られた時の姿のままで白木の台に乗せ、袴の襞を正した使者が先頭にたって行く。鯛は
さまざまな祝儀に贈答されるが、政治家や役人はもらってもウンウンと頷くだけだ。しかし嫁は礼儀作法を知っているから
糸のような細い声でも病気見舞の礼を述べる。高級な魚だから盥廻しにされ、二、三軒も行くと暑気で傷み、五軒も行くと
腐るが、「腐っても鯛は鯛だ」と喜ばれる。

  掛鯛をあげて熊野をぶちまける

 「魚は殿様に焼かせよ餅は乞食に焼かせろ」といい、魚は餅のように気忙しく焼くものではない。だから魚を焼く火加減
は難しく、鮮度のよい魚は強火の遠火で焼くことによって、それぞれの魚がもつ独特の香気と風味を活かすのが板前(料理の
責任者)の技量だとされている。そこで一流の料理店は炭も吟味して熊野(熊野炭の略称)を用いる。
  熊野炭とは、紀州田辺の備後屋長右衛門なる者が元禄年間(1688〜1704)に姥女樫を原料として創案した堅炭で、一般
に備長とよぱれてきたが最近は原料と技術者が少なくなり生産が激減した。ところが昭和55年10月2日付の週刊新潮によ
ると、「インドネシアのスマトラ島では、日本の技術指導で『備長炭』が焼かれている。焼鳥屋や鰻屋で実験した結果は上
々で国産の最高級品『紀州備長炭』に比べ遜色なく、値段も二割安で、しかもスマトラでは使い道のない細いマングローブ
が材料だから資源は無限に近いのだ」とのことである。こうした木炭を使うのには炭火を起こす常識も知っておく必要があ
る。それは夏下冬上といって、夏は火種を炭の下に、冬は火種を炭の上におくと火付が早いということである。

   鯛でない時はうっちゃる西の宮
   縁談の義なら御免と鯛をつり

  鯛を抱えて喜ぶ神様といえば、恵比寿神であるが、この神様の素性は諸説があって正確にはわからない。要約すると、蛭
子神(伊耶那美尊の最初の子)という説。少名毘古命(神産巣日命の子)という説。事代主命(大国主命の子)という説が混同し
ているほかに、西宮市に鎮座する広田神社(天照大神や住吉大明神などを祀る)の再建に尽力した上に、神功皇后が朝鮮から
帰還された時に鯛を釣り祝福の宴を設けた功により、後に西宮神社の祭神となった夷三郎なる広田神社の神官こそ恵比寿神
であるという説もある。
 また、平安朝時代には、夷と三郎は別の神であったという説もある。本地垂迩説では、夷は毘沙門天が本地(元の菩薩)で、
三郎は不動明王が本地であるというが、西宮神社は大国主命と、その第三子で釣りが好きで漁業を守護する事代主命を祀っ
たのだから、七福神(室町時代に作られた名数で、大黒天・恵比寿・弁財天・毘沙門天・寿老人・布袋・福禄寿をいう)の中で恵比
寿は唯一の日本人だと主張する人もいる。

 そこで川柳は、夷三郎は鯛でない魚は釣りあげても捨ててしまい、縁談の儀(話)は、大国主命の仕事だから「おらあ行か
れぬ留守居だと西の宮」と言い遺して鯛釣りに行ってしまったと説明している。

  十月の鯛もののふは遠ざかり
  目出鯛を十千万両で買納め
  附け声で恵比寿の鯛は女取へ売れ
  鯛くわぬ乞食もなしゑびす講

 聖徳太子の肖像が紙幣に印刷されているのは、太子が推古天皇の時代に蛭子神を祀り、商売の道を教えたからであるという。
商行為が活発になったのは江戸時代で、京阪の商人は毎年10月20日に誓文払(商略のため顧客を苦しめた罪業を繊悔する行事)
をした上で江戸に出府して一年最後の取引をして帰宅すると、正月十日に戎祭りとて蛭子神を祀り、商売繁昌や豊漁を祈願す
るが、江戸でも10月20日には恵比寿講といい、大切な顧客などを招待して家族や使用人にも馳走した。そのため鯛の値段が
高騰するから、武家では祝儀があっても鯛から遠ざかる(敬遠して買控える)ことにしていた。

 恵比寿講の宴席では座興として物品に縁起を担いで十万両・千万両などと値段をつけて競売を真似た遊びをして、商談が成立
すると手締めをして「商売繁昌」と唯したてる風習があった。この競売で鯛は付け声(ほかの人に調子を合わせてつけた指値)
をした嫁に売れた。とにかく盛大な宴会だから、乞食までが残り物の鯛にありつけたという。

  干鯛箱二度のつとめにうすげしやう
  帳面に鯛々鴨といそがしさ
  俵のついでに鯛までぬすまれる

 恵比寿講や戎祭りには伊勢産の干鯛を用いたが、これを六月朔日に食べると疫病から免れるという俗信があったので、二度
のつとめをさせるには化粧塩(薄化粧という)をかけ保存したという。12月になると歳暮や年賀に贈る鯛や鴨を買わなければな
らず、帳面の記帳係は忙しいこと、忙しいこと。
 恵比寿講の前後には早くも正月用の縁起物や日用品を売る歳の市がたつが、昔は木彫の大黒天も陳列されていて「大黒は盗
んでばちにならぬもの」ともいい、店の人に知られぬ限り盗んでも罰(罪)にならなかった。客は縁起のよい物が手に入ったと
喜ぶが、中には俵(大黒天)を盗むついでに鯛まで盗む者もいたという。

  午の日の奢りは海老で鯛を釣り

 この川柳は「海老で鯛を釣る」という俗諺を詠みこんだ名句だが、現代では理解に苦しむ句である。これは江戸郊外の王子
に海老屋という料亭があった頃に王子稲荷の祭礼(午の日)で行楽に行った人が鯛料理を食べて散財したことを詠んだ句である。

 「タイも一人は美味からず」

タイは美味なさかなの代表だが、たとえタイでも、たった一人で食べたのでは味けないものだ、という意味。
タイは高価なもの、イワシは庶民的なものとされ、タイとイワシを並べた諺は多い

 エビで鯛を釣る

「雑魚でタイを釣る」とも言う。エビ…と言っても小さなものだが、それをエサにしてタイを釣るのは、わずかな元手で大き
なもうけをするようなものだという意味。同様に小さな仕掛けで思いもかけない得をしたことも示す。「まるでエビタイだね」
と略す場合もある。 同様の意味で「飯粒でタイを釣る」、「麦飯でコイを釣る」とも言う。

 「フグにあたれぱタイにもあたる」

 フグには猛毒があるから、食べ方をまちがえぱあたって死ぬが、運が悪いときは何を食べても害になる。つまり不運はどこ
に転がっているかわからない、ということ。
「フグ食うバカに食わぬバカ」という諺もあり、美味いさかななのに毒を恐れて食べないのもバカだし、やたらと食べて毒に
あたるのもバカだと言われるが、幸も不幸もその人次第である。

     歴史読本/魚介辞典/他参照:髭G


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